師匠と弟子と婚約者
「また、たちの悪いの引っかけたよね、君も。」 心底つまらなそうに言われた台詞に、公瑾は口元が引きつるのを感じた。 と言っても公瑾は当代1、2を争う名軍師である。 心の中がどうであろうとも、表情に出す事などない。 が、隣に座る少女は違った。 「師匠!」 先ほどの言葉をかけられた張本人、花はややうろたえた声を上げる。 ちなみに、彼女の言う師匠とは玄徳軍の軍師である諸葛孔明・・・・目の前でものすごく不満げにふんぞり返っているやや童顔の青年である。 公瑾と孔明、群雄割拠の世の中でも知らぬ者は無い程高名な軍師が二人揃っているなんて、これからどんな交渉が行われるのかと身構えるような場面だ。 だが。 玄徳軍、孔明の執務室で向かい合った理由は至って私的な目的だった。 「ほんとにさあ」 はあ、とわざとらしく孔明がため息をつく。 「久しぶりに花と感動の再会〜って思ってたのに、余計なの連れてきて。」 (私だってできればこんな事などしたくありませんけどね。) 余計なの、の所でご丁寧に視線を向けられて公瑾はイラッとした胸の内を隠すように底知れぬ笑顔で応えてやった。 そう、公瑾にとって大喬や小喬とは違う意味で会話の主導権を握りにくいこの軍師は、戦の場で競いこそすれ、私的になど関わりたくない相手だ。 こんな理由でもなければ絶対こんな形で会いに来たりはしないだろう。 が、しかし今回はこの男に会わねばならなかったのだ。 原因は・・・・。 零れそうになるため息をかみ殺して、公瑾はちらっと自分の横に目を走らせた。 目線よりも少し下にある茶の髪の少女、花。 こことは違う世界から不可思議な本の力でこの世界にやってきたという曰く付きの彼女は、今や公瑾の最愛の恋人である。 が、その彼女がこの世界に降り立った時、最初に手をさしのべたのが他ならぬ孔明であり、花は孔明の事を師とすることでこの世界に足がかりを得た。 というわけで。 ふう、と再び面白くなさそうなため息とともに孔明は、きっちり公瑾に視線を据えて言った。 「その余計なのと結婚したい、だもんね。」 そう、今回公瑾がもの凄く不本意ながら花と共に孔明を訪れている理由 ―― それは結婚の許しをもらうため、であった。 もちろん、本来であれば花の両親に乞うべき事なのだけれど、遠くへだった世界にいる人達ではどうしようもない。 それならば、ということで彼女の師である孔明に、という事になったのだ。 (ですが、この展開は少々予想外ですね。) 玄徳軍から使者として花が派遣されて来て今日まで、公瑾は孔明と花が共にいる所を見たことがなかった。 花がこの世界に来た時期などと考え合わせてみても、孔明と花がそれほど親しい関係にあるとは思っていなかったと言ってもいい。 故に孔明もさほど花を手放す事に難色を示すとは思わなかったのだ。 だが、蓋を開けてみればこの状況である。 花を怯えさせない程度に抑えてはいるが、孔明から伝わって来るのは確かな不快感。 その中には単純に愛弟子を取られてしまう師匠の寂しさという以上に、男の嫉妬や羨望の欠片が混ざっているのを公瑾は感じ取っていた。 「し、師匠〜。失礼ですよ。」 「大丈夫、花。公瑾殿は心が広いから。このぐらいじゃ、ね。」 「・・・・・」 おろおろしている花にはにっこりと笑って見せてそういう孔明に、再びイラッとする。 こちらとて、花と孔明がただの師弟関係でないと見せつけられれば別の次元で腹が立つのだ。 「ええ、ご心配には及びませんよ、花。」 ご丁寧に普段は「殿」付きの名を呼び捨てに直して、孔明にも負けず劣らず笑顔を向ければ、花が少し頬を赤くした。 想いを伝え合ってしばらくたつというのに、この初々しい反応に公瑾はささくれだっていた心が柔らかくなるのを感じる。 ・・・・と言う事はつまり、孔明にとっては面白くもないシーンなわけで。 「ふーん・・・・仲が良さそうだねえ。」 「え!?あ、えっと、その・・・・」 半眼で師匠に見つめられてあたふたする花を横目に、公瑾は笑顔を孔明に向けた。 「ああ、これは失礼致しました。花といるとつい気が緩んでしまっていけません。いつも。」 「あー、そうなんだ。赤壁の戦いの頃はチクチクいじめられてたみたいなのに、よかったね〜、花。」 ぐさ。 孔明の言っている事にばっちり覚えがあるため、これはちょっと刺さった。 「そ、そんな事はな・・・・くなはないですけど、でも今は大丈夫で・・・・す?」 なんで疑問系なんですか!と問い詰めたくなるような花のフォローに、返って微妙に傷ついた。 咄嗟に返し損なった公瑾を見て、孔明の口元が三日月型につり上がるのを幸か不幸か、公瑾は見落とした。 「そうなの?でも本当に大丈夫なのか、師匠としては心配だな。」 「心配いたただかずとも、ちゃんと花は大切にしておりますよ。」 「ふーん?花が玄徳軍に戻ってくるギリギリまで煮え切らなかったのに?」 うっ。 これもまたきっちり覚えがある。 というか、忘れたくても大喬小喬にことある毎にからかわれているので忘れられない。 しかしここで黙ってしまっては敵の思うつぼである。 「お恥ずかしながら、この年になるまでこれほど女性を想ったことはありませんでしたので、思い返せば無様な事ですが戸惑っていた次第です。」 「それはそれは。我が弟子もやるものだ。女性には分け隔て無くお優しいと聞く美周朗殿が我が弟子には冷たく当たっているようだと聞いて心配していたのですよ。」 にこにこにこ。 笑顔対笑顔にも関わらず、筆舌に尽くしがたい薄ら寒い空気が漂う。 「ええ、それは否定しません。なにせ伏龍の弟子というわりには、肝心の伏龍は一向に姿を見せませんし、信用できないのは当然の流れでしょう?」 ぴくっと笑顔の孔明の跳ねた前髪が動いた気がしたのは多分、気のせいではないだろう。 「ですが、貴方もご存じの通り花は真っ直ぐな気性ですから、冷たい私を恐れることもなく向き合ってくれました。だから、私も気が付けば惹かれていたのでしょう。」 これは、包み隠さぬ公瑾の本音。 だからこそ愛おしいと想う、側に居て欲しいと願う。 そんな気持ちが伝わってしまったのか、隣に座る花からの視線を感じて公瑾はちらっとそちらを見た。 そして、見たことを後悔した。 (ああ、もう!なんで貴方はそんなに嬉しそうな顔をしているんですか!) ここは孔明殿の部屋で、貴方のそんな顔を見るのは私だけではないんですよ!と喉もとまででかかった言葉をなんとか飲み込んだ。 「公瑾さん・・・・」 「・・・・師匠の前でしょう。しゃきっとしなさい。」 「はい。」 いつもの癖で飛び出してしまった冷たい言葉を後悔するよりも早く、花が微笑んで頷いた。 その笑顔が公瑾の言葉の真意・・・・照れているだけだといことをちゃんとわかっていると伝えていて、居心地悪くなって公瑾は目を逸らす。 そんなやりとりに区切りをつけたのは、孔明の深いため息だった。 「師匠?」 不思議そうに孔明を見る花に、孔明は緩やかに笑った。 「あーあ、いじめがいがないね。」 「いじめって。」 思わず絶句する花に、孔明はいたずらっ子のように笑って見せる。 「そりゃ、可愛い弟子を攫っていく男だよ?少しぐらい意地悪させてもらわなくちゃ割に合わないよね。」 と言いながら孔明は「でもさ、」と肩をすくめた。 「他ではいくらでも舌が回るくせに、肝心な好きな子相手にはてんでダメなんていうところ見せつけられちゃ、呆れるよね。」 言葉面はさっきまでと変わらないのに、何故か棘が取れたような言葉に公瑾が怪訝そうにするのを見て孔明は目を細める。 そして花に向き直って言った。 「ねえ、花。」 「はい?」 「彼はやっかいだよ?」 「はい。知ってます。」 迷わず頷く花に公瑾は思わず彼女を見たが、その表情は変わる事なく穏やかだった。 (花・・・・?) 彼女の真意が分からず口をつぐむ公瑾を他所に、師弟の会話は続く。 「素直じゃなさそうだし、面倒くさそうな性格だし。」 「知ってます。」 「あんまり構ってくれないくせに、独占欲とか強い方だよ、絶対。」 「そうですか?」 「うん、僕にはそう見えるね。」 断言してちらっと視線をよこしたのは確実にわざとだろう。 このぶんだと、構ってくれない、に関して構いたくても構ってしまうと歯止めがかからなくなるので構えない、というのが実情だというあたりまで絶対読まれている。 (まったく、質が悪いのはどっちですか。) こっそりと先の言葉を返していると、視線を感じた。 見れば、花がじっと公瑾を見上げていた。 「なんですか?」 師匠の言葉に何か揺れるものがあったのか、とどきりとした公瑾に向かって。 ―― 花は、ふんわりと笑った。 小さな野の花が開くときのような、派手ではないけれど暖かくなるそんな笑みを。 花らしい笑顔に公瑾は一瞬ここがどこかも忘れて見惚れた。 その間に、花の笑顔はするっと公瑾から孔明へ移る。 「師匠、大丈夫です。私ちゃんと知ってますから。」 「「え?」」 「公瑾さんが面倒な人だって事も、素直じゃない事も、考えすぎたり自分を追い詰めたりすることも、ちゃんと知ってます。 でも」 思わず声をハモらせてしまった男二人が見守る中、花は一度言葉を切って。 そしてあの極上の笑みのまま、言った。 「そんな公瑾さんを私は幸せにするって決めましたから。」 さも当たり前のように、でもどこか澄んだ決意のように告げた花を前に、孔明と公瑾は言葉を失い。 そして ―― 「―― ぶっ!あはははははっ!!」 「〜〜〜〜〜〜!」 「え?え!?なんで師匠笑うんですか!?というか、公瑾さん!?頭でも痛いんですか!?」 行き成り大爆笑を始めた孔明と、頭を抱えてしまった公瑾に花がオロオロと声をかけるが、生憎公瑾には言葉を返すだけの余裕はなかった。 「い、いやあ、ははっ!さすがは花だね。最強だっ!」 「は!?意味がわからないんですけど?褒められてないですよね!?」 「いやいや、褒めているよ〜。くくっ、さすがは僕の弟子。」 「・・・・私の妻になる女性、です。」 なんとか衝撃から立ち直った公瑾がかなりバツの悪そうな顔ながらも、花の肩を引き寄せるのを目を細めて見ながら、孔明は本日初めて、公瑾に真っ直ぐ向き合って言った。 「その子、すごい子だよ。」 「わかっています。」 孔明の言った短い言葉に、どんな意味がこもっていたのか公瑾でも計りきれなかった。 けれど、それでかまわない。 公瑾が応えた一言にこもった想いもまた、孔明には読み切れなかっただろう。 だから。 「そう。」 いつも感情など悟らせない軍師の表情に、僅かばかり滲んだ切なさは見なかった事にした。 「なら、せいぜい尻に敷かれっぱなしにならないように、頑張るんだね。」 「師匠!!」 顔を赤くしてさけんだ花の声に、孔明が上げた笑い声が高らかに響いたのだった。 〜 終 〜 |